旅の213日目 – 日記
地球歴2482年、星間暦元年
今日、アビスの反応はこれまでで最も大きなものになった。
星図データの拡張映像を見せた瞬間、彼の脳波が劇的に変化したのだ。複数のピークが連続して現れ、呼吸のリズムも乱れた。まるで“何か”が彼の内部で呼び起こされたようだった。しかし、言葉は出てこない。ただ、口を開きかけて閉じる動作が何度も繰り返された。記憶の断片が浮かんでは消えていく――そんな印象を受けた。
球体の光も同時に激しく変動した。パルスの間隔が不規則になり、通信系に一時的なノイズが入るほどのエネルギーを放った。これまで観測されたどの応答よりも強く、そして“感情的”だった。彼の内的変化が球体そのものに影響を及ぼしているのは間違いないだろう。
それでも、アビスはまだ沈黙の中にいる。自分が誰なのか、なぜここにいるのか――その答えは言葉にならず、ただ空白だけが残る。しかしその空白は、以前よりも“輪郭”を持ち始めている。記憶が完全に失われているのではなく、何かのきっかけを待っているのだと感じた。
夜、自室で彼のデータを見返していて、ふと奇妙な確信が芽生えた。
――アビスは、漂流船そのものと切り離せない存在なのではないか。
もしかすると、彼はこの船とともに生まれ、この船とともに記憶を失ったのかもしれない。
明日は、星図データの刺激だけでなく、音や言語的パターンを組み合わせて試してみるつもりだ。
その小さなきっかけが、沈黙の奥にある“記憶”の扉を少しでも開いてくれることを願っている。



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