旅の225日目 – 日記
地球歴2482年、星間暦元年
アビスが覚醒してから一晩が経った。彼はまだ長い時間を眠るように静かに過ごしているが、意識の深い部分は確実に動き始めている。今日は昨日よりも明瞭な発声が何度かあり、同じ音列を繰り返すこともあった。言語体系は依然として不明だが、「無作為な音」ではない。脳波の反応から見ても、彼は今、自分の内側にある“記憶”へと少しずつ手を伸ばしている。
球体との同期現象も続いている。特に今日の午後、彼の発声とほぼ同時に球体が強く光り、断続的な低周波が船内全体に広がった。これは、もはや単なる偶然や生理反応とは言えない。アビスと球体の間には、情報のやりとりが存在していると考えるほうが自然だ。
ただ、不思議なのは、彼が僕たちや船内の環境そのものに驚きも警戒も示さないことだ。まるで、ずっと前からこの状況を知っていたかのような落ち着きがある。記憶が戻っていないはずなのに、どこか「本能的な理解」が働いているように感じられる。
夜、観測窓から星を眺めながら考えた。
この宇宙のどこかで、アビスは長い時間を過ごしてきたのだろう。そして、その記憶がまだ言葉にならない形で、少しずつこの空間に“滲み出して”いる。僕たちは今、その断片を拾い集めているのだ。
明日からは、彼の発声パターンを解析して、体系的な言語としての構造があるかどうかを調べる予定だ。小さな一歩だが、それがやがて彼の記憶と、この船の過去をつなぐ道になると信じている。



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