旅の216日目 – 日記
地球歴2482年、星間暦元年
今日、アビスは初めて「記憶」というものの影を見せた。
それは具体的な言葉でも映像でもなく、ただ一瞬、彼の瞳が遠くを見つめるように動いた瞬間だった。映していた星図の一点に視線が吸い寄せられ、しばらく動かなくなったのだ。呼吸のリズムも乱れ、脳波の波形には強いピークが現れた。記憶が“触れた”のか、それともただ本能的な反応なのかは分からないが、確かにこれまでとは違っていた。
興味深いのは、その直後に球体が発した光だ。
いつもの周期的なパターンではなく、不規則で短い連続パルスが複数回記録された。解析班はこれを「内部信号の断片」と呼んでいるが、もしかするとアビスの記憶が光という形で表出しているのかもしれない。まるで言葉を持たない“記憶の言語”のようだった。
それでも、アビスは依然として多くを語らない。自分がどこから来たのか、この船とどう関わっているのか――すべては沈黙の奥に閉ざされたままだ。ただ、その沈黙は空虚ではない。むしろ、膨大な何かが内側に眠っていて、それが表に出てくるのをじっと待っているような感覚がある。
夜、自室で星図を見つめながら思った。
僕たちは、アビスの“記憶”を取り戻そうとしているのではなく、記憶が僕たちを呼んでいるのかもしれない。まるで、彼の過去が僕たちの未来と重なろうとしているような、そんな予感がした。
明日は、今日反応があった星系データを中心に、さらに刺激を与えてみるつもりだ。
その中に、アビスの“物語”へとつながる糸口があるような気がしてならない。



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