どうも。劇場版子ども向け映画大好き大村レトリです。
みなさん「劇場版こども向けアニメ」みてますか?
子ども向けを侮っていると、とんでもない確度の名作も数多くあって私は大好きです。
大村レトリが触れてコンテンツの感想を書き貯めていく「コンテンツ漫遊記」。
本日は「超劇場版ケロロ軍曹 撃侵ドラゴンウォリアーズであります!」をみて感じたことを書かせていただきます。
「超劇場版ケロロ軍曹 撃侵ドラゴンウォリアーズであります!」の紹介
「超劇場版ケロロ軍曹 撃侵ドラゴンウォリアーズであります!」。
吉崎観音先生原作の漫画『ケロロ軍曹』のテレビアニメシリーズ劇場版第4弾として制作されたアニメ映画です。
↓wikipedia引用あらすじはコチラ
※知りたくない方は押さずに進めてね。
タップで開きます
日本・奥東京市、アメリカ・ニューヨーク、フランス・パリ、オーストラリア・シドニー、アフリカ・タンザニアに謎の巨大なアーチが出現して1カ月後、ケロロ小隊の面々は各地に散りその調査を行っていた。桃華と共にパリを訪れていたタママは、ある夜謎の歌声に誘われ姿を消してしまう。ほどなくして、NYのギロロ、シドニーのクルル、タンザニアのドロロも竜の形をしたエネルギー体に襲われ消息を絶つ。
ケロロと冬樹、夏美の3人は桃華からタママがいなくなったとの連絡を受け、タママを探すべくパリに向かうが、途中でタママが変貌したと思われるドラゴンの襲撃を受け墜落。桃華と合流し、彼女の親友である少女・シオンと出会うことになる。
※基本的には、ネタバレなしでドラゴンウォリアーズのおもしろいところを紹介していきます。
記事の最後に配信してるサブスク(2024年8月現在)も載せとくね。
この映画の素晴らしいところ
ドラゴンがでる




火ふいたり、電気だしたり、衝撃波だしたり、刀ふるったりするかっちょいいドラゴンが沢山でます。
家庭科の裁縫箱のデザインの定番として有名ですね。
特にいいのがドラゴンの作品内での登場の仕方。
ケロロ軍曹の世界にはドラゴンはは存在しません。日常に突如現れるドラゴンという異物がまたロマンなんです。
そういえばどこかで見たことのある色合いのドラゴンのような気がしますね…。
未知との遭遇に対するリアルな人々の対応
元がテレビアニメシリーズの劇場版こども向け作品の大事なポイントに、通常回の雰囲気からいかにスマートに劇場版の空気へ持っていくかの脚本の秀逸さがあると私は考えています。
「非日常舞台装置の提示」とでもいいましょうか。
ドラえもん映画でいうと
と実在をほのめかす。
の図式ですね(ドラえもんの脚本ってすごいね)。
この映画では、未知との遭遇をベースに序盤が始まるのですが、最短かつ明瞭、オシャレに非日常舞台装置の提示を行う冒頭パート素晴らしいです。グッと世界観引き込まれます。こども向けだと思ってダラダラみてた大人の人も席座り直しちゃいますよ。
同時上映の『ケロ0 出発だよ! 全員集合!!』というケロロ小隊が地球(ペコポン)に飛び立つ日のエピソードが本編の前に上映されるのですが、ギャグ要素の強いこちらから本編に入るギャップ感もたまらなくいいです。

今作のゲストヒロイン シオン
ケロロ小隊とみんなの最高のバディ感
これは劇場版に限らず、ケロロ軍曹という作品の素晴らしい点でもあります。
ケロン小隊のメンバーはそれぞれ別の地球人の家に居候しているのですが、それぞれがそれぞれの友情や信頼の形でつながっています。
個人的な解釈なのですが、それぞれの関係性をこんな感じで私は捉えてます。
少年同士の純粋な友情

実力を認め合う友情

異なった特性を互いに尊敬し合う友情

歳の離れた姉弟のような友情

孤独を知る者同士の友情

「友情」とカテゴライズできる関係性を、一つの作品でこれだけ表現できるのは、テレビシリーズならではかと思います。これに加えて「親子の愛情、無償の愛」というテーマがこの映画では加わります。
作中とある事件に巻き込まれたみんながどのように友情を取り戻していくのかもこの映画の見どころです。
セカイ系設定における最高の脚本
突然ですが『セカイ系』って言葉知ってますか?
解釈様々あるので一概には言えないですが、「個人や小さな単位の人の心の問題が、世界を揺るがしてしまうほどの影響力を持つ設定の作品」みたいな感じで私は捉えてます。
一応参考になる文章とリンク貼っときますね。
主人公の少年と恋愛相手の小さく日常的な二者関係(「ぼく」と「きみ」)が、社会関係や国家関係のような中間領域を媒介することなく、「世界の危機」「世界の破滅」といった存在論的な大問題と直結するような物語構造を持つ。(引用 美術手帖)
▼リンク
『新世紀ヱヴァンゲリヲン』、『最終兵器彼女』、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『交響詩篇エウレカセブン』、『魔法少女まどか☆マギカ』、最近だと『SSSS.GRIDMAN』あたりがセカイ系設定かと思います。
1990年代後半のヱヴァンゲリヲン以降流行したセカイ系設定ですが、流行の宿命で、多くの良作と引き換えに駄作も量産されてしまいます。
なぜ駄作が量産されたか。実はこの設定には一つ大きな弱点があります。それは、
「セカイ系の中心であるキャラクターたちに共感できないと冷める」から。
セカイ系作品は、世界の根幹を担う設定にメインキャラクターが干渉できるという性質上、キャラの心持ち次第でストーリーが動いてしまいます。キャラを動かせばストーリーも動かせるので、キャラの行動動機に共感できない場合、視聴者の気持ちが作品から離れてしまいます。
例えばハルヒがツンデレではなく、ただの恋愛脳だった場合男性キャラとイチャイチャするだけの作品になってしまうみたいな感じ。
キャラクターの心情を描くのに優れた設定のセカイ系ですが、脚本力がないと作品が破綻してしまう諸刃の剣だったんです。
ヱヴァ以降セカイ系の設定が流行り、名作と共に数多くの凡作も量産され、アニメファンは食傷気味になってしまいました。
さて、ちょいと熱くなっちゃいましたが、話を戻しましょう。
ドラゴンウォリアーズもセカイ系設定の作品です。
そして作中、セカイ系の中心にいる人物に、観た人は苛立ちを覚えるかもしれません。
しかしこの映画を最後までみると、その苛立ちを覚えること自体が間違っていることだと突き付けられます。
これまで見てきたセカイ系のストーリーの中で、最も美しい脚本だと私は思ってます。(こども向け映画とか抜きにして。)
「こども向け映画なのにすごい」ではなく、こども向け映画だからこそ生まれた素晴らしい脚本です。
ネタバレなしだとこれ以上語れないけどぜひみんなみてみて!
自称映画好きで、こども向け作品を敬遠してる人ほどぜひみてほしい。
現実でも、空想でも、あの頃いた大切な友だちのことを思い出しながらみてみてね。
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