旅の212日目 – 日記
地球歴2482年、星間暦元年
今日のアビスは、相変わらず記憶の奥に霧がかかったままだった。問いかけても、自分が誰でどこから来たのか、その答えは出てこない。それでも、何かを「思い出そう」とする仕草は昨日より増えている。目を閉じてじっと動かなくなったり、何もない空間を見つめるように視線を漂わせたりするのだ。
興味深かったのは、古い星図の映像を見せたときの反応だった。脳波が一瞬だけ大きく乱れ、呼吸のリズムも変わった。記憶そのものは戻らないとしても、「何か」をかすかに覚えている可能性がある。星々の並びが、彼の過去と深く結びついているのかもしれない。
球体も今日は不思議な変化を見せた。長らく見られなかった“静止”が数秒間だけ発生し、その後に今までとは違うパルスが放たれた。解析班は、これはアビスの内的変化と同期している可能性が高いと見ている。
彼の中の“空白”が、少しずつ形を持ち始めているのだろうか。
記憶が戻らないままの彼を見ていると、不思議と恐れはない。むしろ、僕たちもまた“未来”という名の記憶をこれからつくっていく存在なのだと感じさせられる。アビスは、失われた過去と、これから描かれる未来の狭間にいる存在なのだ。
明日は星図データを拡張して、さらに刺激を与えてみる予定だ。
彼の沈黙の奥に眠る何かが、そろそろ表に出てきてもおかしくない気がしている。



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