ども。大村レトリです。
映画「怪獣ヤロウ」を観ました。
映画を観た方だけに分かる範囲に留めつつ、やんわりストーリーを追いながら、つらつら備忘録の感想を書かせていただきます。
俺は山田を尊敬する。そして笑ったやつらを許さない。
主人公山田が高校生時代に自主制作した映画を体育館で上映するシーン。感動と怒りを覚えました。
高校生時代に一つの映画を一人で作り、人に見せるという行動まで実行した山田すごくないですか?創作活動に惹かれたことがある人と、そうでない人で受け取り方が違うシーンかもしれません。本当にすごいことだと思うんです。
山田の映画が伝わらなかったとき、周りの人間の行動への怒りと、山田への尊敬と憧れが混じった感情になりました。作中頼りない主人公として描かれる山田の、主人公としての核である強さと狂気性を示す良い冒頭でしたね。
あと山田要次さんは相変わらず素晴らしい。
絶対こう展開するやん!という安心感と、ひとつまみの不安
現代に舞台が進み、市役所に勤める山田の現状や、観光課の面々や市長のキャラクター、街の住人との関わりが描かれていくシーン。刀鍛冶、市長、課の仲間、秘書、街の人々など沢山出てきましたが、「あぁ!この人たちこんな風に仲間になっていってくれるんだろうなぁ!」って安心しながらみれる感じ。好きな展開です。
その中でも、清水ミチコ、田中要次、手塚とおるの3名の演技特に素晴らしかったですね。
制作陣が百戦錬磨の一流とは言えないからこそ、一流の人たちのすごさが際立つのを感じられるのもこういういった映画の良さですよね。軽く出演してるタイタン芸人たちもお祭り映画感あって素敵です。作ってる人楽しんでる感じ伝わってきますよね。
そして、日常の中で突如出てくる「あの球体」の描写。賛否が分かれるポイントになるかもしれませんが、あのスパイスがあることによって、「どうせこうなるだろ」という退屈も払拭してくれる良い演出だと思います。この設定の解釈は最後に書きましょうか。みんなも教えてね。
秘書さんかわいい。監督かっこいい。山田はやっぱすげぇ。
秘書さんのしっかり者演技のフリが効いてて、ミスったときのギャップとても可愛らしかったですね。そしてそのミスをきっかけに、山田がまた「あの球体」をみて、何かに憑りつかれたように、憧れの監督の家に車を走らせるシーンへ続きました。
山田の狂気性だけで「転」にストーリーを強引に持っていってしまうと、最後の上映シーンのカタルシスが減ってしまう。しかし、「チームのミスをカバーするため」という山田の理性の部分を残しつつ、狂気性のある行動に大義を乗っける脚本素晴らしい。観ている僕らに山田の狂気性、特殊性を最後まで見せきらないまま進めるバランスがこの映画のすごいところだと思います。
監督の家が「何かを成し遂げた男の隠居生活」感バリバリでてて良かったですね!深夜に囲炉裏囲んでバーボンにタバコ。そして知らないやつが家に入ってきても動じない度胸。古き良き昭和すぎます。倉庫のシーンもワクワクしましたねー。
上手くいくのが結局一番いいのよ
それなりに強引に、でもコミカルに失敗をしてしまった一行。映画の撮影の継続が困難かと思われたところで、憧れの監督の後押し、そして「あの球体」をみてまた憑りつかれたように怪獣映画の撮影を決意する山田。観光課の面々にも火が付き、どんどん映画ができていくシーンは気持ちよかったですねー。
そんな中でも、特に気になったのは、山田が現実のぐんぴぃの「バキバキ童貞です」をセルフオマージュしたシーン。一見ただのファンサービスシーンかと思いきや、ジオラマの制作にこぎつけるための重要なストーリーとしての意味がありました。そしてそのシーンの重要な役を担った女子高生が学校の美術部で、怪獣に壊されるセットを作る。ここは、この映画の中でも大事なシーンだなと感じました。
物語の終盤、山田の「復讐」というキーワードがでてきます。そこを描くためにもここは必要なシーンだったと思うんです。高校生時代の山田を笑う同級生たちのシーンで、可愛らしい女の子たちが少し強調されていたように感じます。そして、バズった山田を知っていた女子高生の女の子も、不要に感じるあえて可愛く映るカットがありました。ここで過去の山田の同級生たちと、現代の彼女がリンクしたように感じました。
少し深読みしすぎかもですが、冒頭の山田の無念や悔しさを、自分を笑ったやつらを味方につけたことで、山田の復讐が達成されたことを示す一つの要素なのかなと感じました。こういった映画で、オマージュや身内ネタは安っぽくなりがちですが、ギリギリ作中の必然を入れた脚本見事ですね。安直なセルフオマージュになるかギリッギリのラインではありますが、山田の心情の深みが増したように感じました。
ジャックはいつだってロマンよねぇ。
「自分たちで作ったものを、ジャックして流す」という王道のロマン設定を久々観れて気持ちよかったです。それが、怪獣が市役所をブッ壊す映画なんですからひと塩。特に協賛企業のくだりが好きでした。ちゃんとご当地映画としての要件を満たしてるのがいいですよね。
かつて怪獣映画を作って笑われた少年は、自ら怪獣となり、パンイチの姿で暴れ観客を楽しませます。高校時代、笑われた彼が、笑わせるという形で復讐を達成します。かっこよすぎるよ山田。タイタン制作だけあって、芸人賛歌も感じるストーリーでした。私も個人的に思うところがあるのですが、ビートたけしから影響を受けた太田光。そんな二人のイズムがタイタンの人たちの根っこにもあるのかなーと考えちゃいました。
撮影室にいる一行の会話の中で、山田の「復讐」というカミングアウト、「狂っている」という課長のセリフがでてきます。最後に、冒頭感じていた山田の狂気性が結びつきめちゃめちゃ気持ちよかったです。そして、無事怪獣映画で一定の評価を得た一行が二作目の制作をするかどうかを話すラストシーンで、山田は再び、「あの球体」をみて、また憑りつかれたような表情をします。
皆さんは「あの球体」のことをどう捉えましたか?
作中「怪獣は怒りだ」というセリフがでてきました。そのままの解釈でも基本的にいいと思うのですが、私なりの解釈を書かせていただきます。
山田のみたあの球体、怪獣は、「失うことのできない呪いのような情熱」だと思います。そして、その情熱の呪いの部分は怒りを孕みます。同級生に笑われた怒り、仕事でうだつが上がらず抱いた上司への怒り。しかし山田は理性的な人間でそれを他人にぶつけることはしません。山田は、同級生にも、上司にも不満をぶつけることは作中していませんでした。山田のそういったところとてもかっこいい。
しかし理性的な山田の怒りは確かに溜まっていました。それを発散できるものが、怪獣映画しかなかった。発散する方法に気づき、怪獣のような球体に憑りつかれたように山田は止まること忘れ、深夜に憧れの監督の家を訪問し、一度大きな失敗をしても諦めることはありませんでした。
この心理構造は、人が犯罪に走るときの心理にも近いものだと思います。しかし、理性的な方法で、怒りを人にぶつけずに発散できる方法、それこそ創作なのだと示してくれる、全ての創作を行う人たちへの賞賛でもあるのかなと思いました。
深読みしすぎだと思うよ!でもそんな風に考えさせてくれた映画でした。
最後に
映画観たあとコメダコーヒーに駆け込んで、気づけば1時間も夢中で書いています。そろそろ終わりにしましょう。誰かとめっちゃ語りたい気分ですー。みんなの感想聞きたいー。
怪獣ヤロウとても好きな映画です。人に「めっちゃ面白いよー!」と言うには少し映画としての粗もありますが、自分にとっては大切な感情を思い出させてくれる大切な映画でした。
ぐんぴぃがこの映画の主演をしている必然があったと思うんです。これって様々な名作に宿ってる大事なファクターの一つだと個人的に考えています。
ネットのおもちゃとしてバズってしまった彼が、Youtubeを通して自らの面白さで多くのファンを得て、立場を獲得してきました。世間的には「持たざる者」とされる童貞というものをコンテンツに昇華したぐんぴぃが、娯楽として一定の権威性がある映画というコンテンツの主演をする。これはある種ネットミームとして世間に消費されてきてしまった人たちの復讐になっていると思うんです。山田を笑った高校の同級生たちを見返したあの怪獣映画のように。
いろいろ書きましたが、結局最高に気持ちよかったのは、「自分に特に弱点がないからって人を自然と嘲笑って生きてるやつら!おめぇらには面白いコンテンツなんか一生作れねぇよ!アホンダラァ!」と代弁してくれたような気持ちになったことでした。
もちろん俺らは抵抗するで?創作で。
また何か観たら書かせていただきます。
ほんじゃまた。
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